ひとりの競馬ファンとして、ウマ娘を受け入れづらい理由 #ウマ娘

好評なのかそうでないのか謎なアニメ、ウマ娘。絵は綺麗で声優もそこそこ揃っていて、競馬場内はやたら現実に即した描写になっているなど高品質なのはわかりますが、何かとても競馬ファンとしてモヤモヤします。その理由がぼんやりとわかったのが第4話、確信となったのが第5話でした。

比較、論争

第4話のシーンは、タイキシャトルスペシャルウィークの模擬レースシーン。議論の余地なく、現実のマイル(1600m)以下なら、競馬ファンのほとんどが、タイキシャトルがぶっちぎると想像するでしょう。しかしスペシャルウィークはアニメの主人公。実際はアニメ内で距離は明示されなかったように思いますが、「もしや、マイルのタイキシャトルですら噛ませ犬にされてしまうのでは?」と想像したときに、ようやくこれは「最強馬論争に踏み込んでいる」ということに気付いたのです。
第5話において、いきなり最強論争回避のための最強カードを切ってしまいました。次以降どうするのでしょうか。バトルものであれば、架空の絶対悪組織を出して力を合わせて勝利すれば良いので簡単ですが、個人競技である競馬ではそうはいきません。

史実、物語、その恐怖

史実そのまま再現ならともかく、もし架空レースを作るのであれば、よほど明確に力差・適正差があるところでもない限りは、それは勝者として設定された者以外(その関係者とファン)を侮辱することになります。5頭出ていれば4頭のファンが大激怒でしょう。もともと最強論争はタブーなのです。これがゲームであれば、史実馬が出るものであっても、各プレイヤーが好きな馬の最強伝説を作りあげることが出来て、むしろ自分だけの最強馬ストーリーを人知れず実現する、プラス要素として働いていたのですが。

アニメや小説などの、自由度を許さない唯一真実の創作は、様相が異なります。アニメの歴史を掘り返すよりも、広く一般に浸透した、三国志演義西遊記(夏目雅子=女性)・坂の上の雲における乃木希典、あたりを引っ張り出してきましょう。物語の威力は絶大です。史実を塗り替えるのではありませんが、史実の認識を塗り替え、「本当は…」という話は嫌がられ、SNS時代では袋叩きにあうことでしょう。

いままでの競馬の創作物語… マキバオー、じゃじゃ馬グルーミンUP、さらに古くは優駿(宮本輝)など多数が、競馬界というフレームワークの中に架空馬を埋め込んでストーリーを作っていました。好みの競走馬という存在を抱えた競馬ファンを商売相手に巻き込むのであれば、そうなりましょう。このあたり、「ウマ娘競馬ファンを疎く思っているだろうな」と当初から感覚的に思っていたことと繋がったのでした。そして、当初から具体化できずにいた、得体のしれない恐怖の正体も掴めました。馬名の検索で女の子の絵が一杯出てくるようになることなんて、些細な問題なのです。


競馬ファンが、と主語を超拡大するつもりはありません。単に一人の競馬ファンとしての自分の感触です。しかしある程度は同じような考えをもった人がいるし、さらに何が引っかかっているのが言語化出来ていない人が散見されるな、という印象を持っています。